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新宿老舗ホテルが生まれ変わる

過去を繋ぎ、コミュニティと未来を築く

それは、わずか2年ほど前のこと。其処かしこで工事が行われ、日々変わりゆく街の中で、1979年開業の新宿ニューシティホテルも他の多くのビル同じように、世間では、いずれ解体され、再開発されるものと見られていた。新宿の高層ビル群の端に建つこの老舗ホテルは、修学旅行や団体ツアーで利用される大型の宿泊施設となっていた。

時計の針は進み、建物はまだその場所でホテルとして営業を続けている。名前を変え、コンセプトも刷新され、老舗ホテルは息を吹き返したのだ。

ある昼下がり、そのホテルのロビーを覗くと、そこはまるで目の前に広がる新宿中央公園の一部のような雰囲気だった。これから観光に出かけるゲスト、ブランチを食べに訪れた近隣の住民、そして木製の大きなテーブルに集まりコーヒーを片手に談笑する人、パソコンやスマートホンを置いて作業をしているノマドワーカーたちで賑わっていた。

DJがジャズレコードを回している。聞こえてくる話し声は、英語、フランス語、中国語に日本語と、まさに多国籍な空間を醸し出していた。

「THE KNOTのロビーは、新宿ニューシティホテルの頃から馴染みのある地元の住民がふらりと立ち寄れる場所なのです。皆さん、変貌ぶりに目を丸くします。」池田龍哉氏は、こう語る。1979年に新宿ニューシティホテルを建てたのは池田氏の母親だ。新宿ニューシティホテルは、池田氏の祖父が建てたホテルを建て替え、開業したものだった。

「この近隣の環境は目まぐるしく変わり、それに伴い、ホテルも変化してきました。」

新宿ニューシティホテルは、新しい所有者となったいちごにより40億円をかけて全面改装され、2018年8月にTHE KNOT TOKYO Shinjukuとして営業を開始した。池田氏はこのTHE KNOT TOKYO Shinjukuの経営を担い、祖父と母親の生業を継いでいる。耐震改修工事が施され、目の前の公園からインスパイアされた空間へと仕上げられた。新宿中央公園の前に建つ老舗ホテルは、都内初の新しく、デザイン性の高い、居心地の良さを追求した、ライフスタイルホテルとして生まれ変わった。

ライフスタイルホテルというコンセプトは、まだ国内において浸透しているとは言い難い。世界の他の大都市との比較でいえば、英語圏でboutique hotelに分類されるホテルはニューヨークでは全宿泊室数の20%、ロンドンでは10%なのに対し、東京はわずか0.7%でしかない。

THE KNOTは、boutique hotelをさらに細分化したカテゴリーである「ライフスタイルホテル(lifestyle hotel)」をコンセプトとしている。ライフスタイルホテルは、デザイン性が高いだけではなく、地域との関わりも重視する。

「国内のホテルの多くは、地域コミュニティと切り離された存在です。」 いちごでホテルなどの投資事業を統括する細野康英はこう語る。「海外のライフスタイルホテルに宿泊して、地元の住民が気軽に立ち寄り、ホテルで食事をしたり、くつろいだりと、日常生活の延長のように利用し、ホテルに関わる場面を何度も目にしました。日本でも同じことができると思いました。」

新宿のTHE KNOTは、いちごによるTHE KNOTブランドのライフスタイルホテル第2弾だ。第1弾はTHE KNOT YOKOHAMA、改装後2017年に開業した。第3弾が札幌、第4弾が広島での開業を予定している。

細野は THE KNOTというホテル名の由来についてこう語っている。

訪れる旅人とその街で生活する人、街の歴史や文化と今をつなぐ結び目(KNOT)でありたい、そのような思いがこめられているという。建物構造を含む全面的なリニューアルにおいても、旧ホテル創業時の面影を残すよう心を砕いた。先代にあたる池田氏の母親が自ら選んだ当時流行の、全方向に輝きを放つゴールデンスターバースト・シャンデリア(先代は、愛情をこめて「おたまじゃくし」と呼んでいた)は、据え付けられた当時よりも少し遠い場所から今も訪れる人を見守っている。

エントランスを入ると吹き抜けの開放的な空間が広がり、左側には焼き立てパンのベーカリーがあり、右側にはオールデイダイニングがある。ロビーの壁を取り払い、ベーカリー、カフェ、レストラン、フロント、そして写真家の作品が展示されているスペースが、吹き抜けを通して2階まで流れるように繋がっている。吹き抜けの一段高い天井で輝くシャンデリアの奥には、照明を落とした落ち着いた空間、訪れる誰をも温かく迎え入れる空間が続く。

メインレストランの MORETHAN GRILLは宿泊客のみならず、地元の人々を魅了している。1960年代の高度成長期を契機に次々と建設された高層ビル群に囲まれて暮らす地元西新宿の人々が求めていた落ち着ける集いの空間だ。

このホテルはまた、新宿という街の変遷を目の当たりにしてきた生き証人でもある。大工であった池田氏の祖父は、戦後の焼け野原だったこの地一帯を買い、木造の小さな温泉宿を建てた。これを池田氏の母親が鉄筋鉄骨コンクリート造の近代的なホテルに建て替え、戦後経済成長の波に乗った。

このホテルで育った池田氏は、1980年代の最盛期を鮮明に覚えている。石原軍団が、当時、最上階にあったステーキハウスに足繁く訪れ(今は、誰でも入り易い2階のグリルに変貌している)、また日本の特撮テレビドラマの先駆け、揺るぎない人気を誇った「ウルトラマン」シリーズのロケ地として撮影クルーが出入りしていた。だが、そんな華やかな歴史を持つこのホテルも、90年代以降の日本経済の長期停滞に抗うことはできなかった。

現在のTHE KNOTは、およそ80%が海外からの宿泊客だ。しかも、東京のホテルとしては珍しく、欧米からの宿泊客が多い。だが、池田氏にとって最も緊張する客は79歳になる池田氏の母親だ。頻繁にホテルのレストランを訪れ、宿泊もする。

「母は、活気とともに蘇ったこのホテルを心から気に入っています。」と池田氏。「しかも、母のシャンデリアを残したまま、ここまで生まれ変わったのですから。」

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