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横須賀好きが語り継ぐ、街への想い

いちご よこすかポートマーケット その2

三浦半島フードエクスペリエンスというコンセプトのもと、「いちご よこすかポートマーケット」では、横須賀・葉山の海の幸や山の幸、地元を拠点とした老舗店から海外でも評判の店、横須賀との縁から初出店となった店など、さまざまな店舗が独自の世界をつくっている。

出店された店舗の共通の想いは、「横須賀を盛り上げたい。」に尽きる。

旧施設から出店している長井水産株式会社(1963年創業)の代表取締役会長、宍戸和信氏は「自分自身がワクワクしないと、人を感動させられない。横須賀を盛り上げたいという気持ちを具体的にワクワクに変えたい。」と語る。

「リニューアルに際し、出店の依頼を受けたが、はじめはずっと断っていた。一度うまくいかなかった地元の施設で二度目の失敗は出来ない。正直自信がなかったし、ワクワクする気持ちも湧かなかった。」
市や金融機関の方も勧誘に来てくれたが、気持ちは揺らぐことはなかったと言う。1年が経過する頃、いちごの担当者である後藤が宍戸氏のところに訪問した。その時の空気感が不思議と、この人と仕事をしたら面白いかもしれないと感じさせ、はじめて「考えてみるね。」と答えた。

オープンが3か月後に迫る中、予期せず1週間ほど自宅で時間を費やすことが
あった。その時あらためて、以前「考えてみるね。」と答えたことを思い出し、一度、リニューアルした施設で「やる」ことを前提に真剣に考えてみようと思った。
会社のこと、今後の事業展開、人財、承継、色々なことを重ね考えていく中で、段々ワクワクしてきたと宍戸氏は言う。

 

あった方がいいはずなのに、出来ていないこと。誰もまだやれていないことって何だろう。
宍戸氏は、これまでの農業、漁業の流通に課題があると考えた。

農作物は季節ごとに旬がある。一方で、色々な野菜を仕入れるために、1軒1軒の農家と契約を締結するのには限界がある。それなら、JAよこすか葉山と一緒に出来れば、季節を問わず、新鮮な野菜を提供できる。
すぐにJAにアポを取り、「JAを通じて平等に発信して出荷できるようにして欲しい。」と相談した。
JAからは、これまでやったことがないと返答されたが、「ダメなわけでなく、やったことがないだけなら、やれないことはないでしょう。もし、JAが先頭に立って、農家を集めることが出来たらすごいことだよ。やれば出来るよ。一緒にやりましょう!」と話し、何度もJAに足を運び、実現することが出来た。


水産物についても考えてみた。
横須賀だけでは限界があるため、三浦半島の海の幸と考えればどうだろう。そのためには、三浦半島に4つある漁協の協力が必要。早速、それぞれの漁協の組合長に説明に回り、三浦漁協、東部漁協、長井漁協、大楠漁協の協力を仰いだ。リスクや余計なお金はかけさせないので一緒にやろう、と漁協の組合長を説得することが出来た。

海と大地。これまで誰もしてこなかった新しい取り組みが実現した。ワクワクする。初めて三浦半島のものが1つの場所に集まる。でも、食べ物だけじゃ足りない。

横須賀には地元土産がほとんどない。
世の中に知られていない、いいモノづくりをしている人が横須賀にも必ずいるはず。知人の紹介やネットで調べ、横須賀土産を一人で1軒ずつ宍戸氏は探し歩いた。
その頃、オープンは2か月後まで迫っていた。

商品は長年続けていけば、本当に良くなっていく。「観光」を目的として、取り組むのであれば、いつ行っても同じでは良くない。変わらない良さもあるが、変わらない悪さもある。
その違いを分かっていることが大切だと宍戸氏は語る。

同社では、水産物、農作物、横須賀土産の店舗を構え、三浦半島の魚介をテーマとした飲食店舗も出店し、日々新鮮な賑わいを演出している。
「いちご よこすかポートマーケットで常に次の一手を考えている。お客様の笑顔のために出来ることはまだたくさんある。」
宍戸氏は、厳しくも愛情ある笑顔で答えた。

 

エントランスを入ってすぐ右手に見えるビーカープリンの店「マーロウ」。
名探偵フィリップ・マーロウの似顔絵をマークにした、やや大きめの耐熱ビーカーに注がれるプリンとカラメルは、その美味しさで地元はもちろん、全国にまで評判が行き渡っている。
「”地域に愛される店”であることが必須。」創業者の子息である白銀剛 副社長はこう語る。
「1984年に地元・横須賀で創業。その後、葉山にカフェレストランを開業した。当時デザートとして出していたプリンをお客さまの要望で耐熱ビーカーのままテイクアウトしていただいたことから、ビーカープリンが誕生した。
会長(創業者)と当時の料理長が掲げた”品質にこだわった商品づくり”の精神を今も持ち続けており、グルテンフリーにもこだわっている。環境への配慮も意識し、ビーカーのリユースもオープン当初から行っている。」

地元への感謝、自然資源への感謝を大切にする白銀氏は、創業者である会長のモットー「誠実」が会社に浸透していると言う。
「判断を仰ぐ上司がいない状況で、スタッフが判断に困ったときには、お客さまが喜ぶ判断をするように教えている。」
その方が気持ちよく寝られるでしょうと白銀氏は笑みを浮かべた。

白銀氏は、産業が少ない地元のことを以前から気にかけていた。
“地元である横須賀を盛り上げたい”
2022年4月、ケーキとプリンの工場を新たにつくり、拠点を拡大しようとしていたところ、横須賀市から出店に誘われた。
「ポートマーケットがオープンした時は、元々のリピーターである地元のお客様が並んでくれた。売り上げは予想以上。今も多くのお客様に来ていただいている。」


子どもの頃、家族祝事で必ず利用する洋菓子屋があった。
そこでの買い物と洋菓子の味が素敵な思い出として深く刻み込まれているのだと言う。
「神奈川には崎陽軒さん(シウマイ)や豊島屋さん(鳩サブレー)など、全国的に知られるお店がある。私たちも、神奈川と言えばマーロウ、と言われることを目指している。お客さまの大事な記念日にマーロウが選ばれるようになりたい。」

他社を気にすることなく、規模を追い求める出店は行わない。
創業時からプリンを提供しているので、当時若い年代だった方が子や孫を連れて3世代で買い求めに来られることもある。こういう関係や縁を大事にしたいと語る。

横須賀が盛り上がってほしい。「横須賀にはマーロウがある」と言われるようなブランド作りをこのポートマーケットで実現したい。
スタッフ教育を何よりも大切にしている。顧客第一を最優先し、スタッフ一人ひとりが、”自分自身がマーロウというブランド”なのだという自覚を持ってもらうことが大事、と白銀氏は語った。

横須賀には「よこすかネイビーバーガー」という、横須賀市が認定基準を定めたハンバーガーがある。
パテの大きさ、重さを含めて、細かい規格がすべて決まっている。アメリカ兵も納得する美味しさと提供スタイルに、横須賀市が観光資産としてのお墨付きを出している。基地がある街ならではの特徴であり、ソウルフードとして街に根付いている。
「現在も当時のレシピを忠実に受け継いでいる。そういう歴史のすごさを素直にかっこいいと思った。」
よこすかネイビーバーガーに認定されている老舗「HONEY BEE」のエリアマネジャー 上運天先斗氏は語る。

「認定を受けていないと、よこすかネイビーバーガーとしてお客様に出せない。こういったこだわり、クオリティを保つ基準が横須賀という街に存在することに、自分自身が惹かれている。
今後はネイビーバーガーのそういった魅力をもっとアピールしていきたい。」

 

HONEY BEEは1968年創業。創業者がアメリカ軍基地のシェフだった縁から、基地前に本店をオープンした。
ポートマーケット店は2店舗目になる。
スタッフは高校生のアルバイトから50歳代までおり、全員が横須賀生まれ。本店の歴史を知るために、誰でも必ず1日目は本店で働いている。
「本店からは他には代えられない歴史を感じる。それは店を多く展開することより大事なこと。テーブルや椅子から食器、ディスプレイ、店から見える風景など、ここでないと分からないものがたくさんある。」

お店の看板には「GALLEY」と記載されている。アメリカの軍隊用語で艦船、航空機などの厨房の事だという。
「この街は、基地がないと成り立たない。大きな船が着港すると、しばらく横須賀の人口は5,000人ほど増える。賛否はあると思うが、自分は横須賀に基地があって良かった。」

ポートマーケット店は、大きな看板が象徴的な、清潔でビビッドさを感じる店構えとなっている。
横須賀の雰囲気を感じてもらうためにお店をどうアピールするか考えた結果、オープンキッチンを採用。ステンレスでピカピカにして、カウンターは本店の雰囲気を意識した。
ランチタイムになると行列ができ、オープンキッチンからは認定のパテがジューシーに焼ける香りが広がる。
「開業してから本店のお客さんや、小さい頃に本店で食べたという人も来てくれた。」

“基地があるからこそ生まれた店”であり、それが街のカルチャー、雰囲気の一翼を担う。他の街にはない独自性に誇りを持ち、街の発展を願って情報発信する人々が多くいる中、上運天氏のような若い世代もそれに続いている。

「私自身は、HONEY BEEが外に出て通用するか試してみたい。その時は海のそば、港のそばに出店して、横須賀のカルチャーを表現したい。チェーン店とは異なり、ウチにはウチのスタイルがある。ここはブレてはいけないところ。」

地元への想いを胸に、さまざまな世代の「横須賀好き」が店と街を盛り上げようと取り組んでいる。
その連鎖が起こる中、横須賀はこれからもそのポテンシャルを開花させ続ける。

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