会社情報 会社情報 会社情報Company

「岩﨑 謙治」のご紹介

常に前を向いて、かつ凛として

生前、岩﨑が執筆した自叙伝「Gift」を元に当社が編集しております。

    1968年4月10日、福岡、炭鉱の町香月に生誕。
    1992年4月、大学卒業後、株式会社フジタに入社し、開発事業本部に配属され、開発営業に従事。その後、当時、最年少所長に就任した。
    2001年5月、不動産証券化の時代を見据え、当社の前身であるピーアイテクノロジー社に入社。見込み案件の収益確保に奔走し、創業2年で最短期間での新興市場への上場に導いた。2007年には不動産市場も活況を呈し、2007年2月期決算は過去最高益を計上するまでとなった。

      しかし、その後、米国のサブプライムローンによる逆風は当社にも影響を及ぼした。資金繰りに苦戦する中、株主であるいちごトラストの運用助言会社の代表を務めるスコット キャロンと出会うこととなる。2008年8月18日、いちごトラストは当社に真水の50億円の出資を実行。当社は、首の皮一枚で生き残りを果たすこととなったが、さらに想定外の金融危機が当社を待ち受けていた。2008年9月に起きたリーマンショックの影響は甚大で、当社は最大の危機を迎えることとなった。

        筆頭株主となったいちごトラストの運用助言を預かるスコット キャロンは、社外取締役からの依頼を受け、代表執行役会長に就任するとともに、不動産のプロである岩﨑謙治に代表執行役社長就任を依頼。岩﨑は、窮地に立たされた投資先にトップ自らが代表リスクを取るというスコット キャロンの覚悟を粋に感じ、恩を返さない訳にはいかないとの思いから、代表執行役社長に就任することを決意した。

          2009年2月期決算は、450億円もの大きな赤字を計上することとなったが、その内容は、不動産や企業投資における株価の評価減によるものであった。当社は、このタイミングですべての膿を出し切る方針を取る判断をした。翌年には黒字に転換し、厳しいマーケット環境にさらされつつもコストの大幅削減を断行。着実に成長を遂げ、小さいながらも健全なB/S、筋肉質な企業体質を背景に、新規投資、リート事業の成長戦略、クリーンエネルギー事業への参入、リーマンショックからのV字回復への準備を整えていった。

          キャロンと岩﨑

          その後、アベノミクスを背景に、当社の成長は急速に加速した。

            そのような中、岩﨑はALS(筋萎縮性側索硬化症)、10万人に1人ほどが発症する非常に稀な神経難病を発症することとなった。スコットに難病発症を伝え、今後の相談をする中、社長継続につき慰留の言葉もあったが、スムーズに新経営体制へ移行するためのサポートに回ることを決心。元気なうちに新体制を支える役割を果たしたく、その決意を伝えた。後任には、長谷川拓磨を提案し、2015年5月に社長を退任、そして、会長に就任した。その後、当時の経営メンバーは、岩﨑より難病発症の話を聞き、皆悲しみにつつまれた。その頃、岩﨑は、呼吸器不全まで2、3年しか残されていないと余命宣告を受けていた。

              2015年11月、当社は念願の東証一部上場を果たした。上場当日のセレモニーでは、記念の盾を、会社の代表として岩﨑が筋肉の痩せた腕で受けとった。

                「この病気に奇跡は起こらない。でも、出来るチャレンジは精一杯やろう。我々の先には道がない。我々が進んだ後に道が出来る。リーマンショックの頃、社員に語った言葉と同じ思いで、治療に取り組んだ。(岩﨑)」

                  東証1部上場

                    この病気では諦めなければいけないことがたくさんある。しかし、岩﨑は常に、出来ないことを数えても仕方ない、今でも出来ることを考えるようにしていた。2020年7月5日(享年52歳)、息を引き取る直前まで、体の不自由をおして出社を続け、スコット、長谷川とともに事業経営に尽力するとともに、役職員の指導にあたった。
                    その姿は、いちごの成長を確実に支えるものであった。

                      一期一会

                      岩﨑は生前、お墓を購入した。
                      墓碑には「一期一会」の文字を
                      刻んでいる。

                        生前、岩﨑が49歳の誕生日、全社員に向けてメールを発信した。そこで、一部の経営メンバーにしか伝えられていなかった岩﨑の病状や思いが初めて全社員に伝えられた。

                          (以下、メール抜粋)

                            「言葉を失い、体の自由を失い、この先、出来たであろうたくさんのことを出来ないことは、とても残念です。でも同時に思います。残念ではあるが、過ぎた何かを後悔していることは、自分の心にはないと。その時その時、自分なりに精一杯生きてきたなと。この会社に出会えたおかげで、私は人生を輝かせ、自分らしく生きてきました。

                              この会社を日本一チャンス溢れる会社に。私が社長時代、よくこの言葉を使いました。
                              自分がもらったチャンスを、会社の皆にも掴んでほしいという思いです。
                              まずは、筋肉質な会社作り。これは一人当たりの収益性を落とさないような経営をすることだと思います。収益性の低い事業から、高い事業へ、変化を恐れずにチャレンジすること。また、今はなく、社会的必要性のある事業に、スモールスタートで果敢に参画することだと思います。 一方で、これまで進めてきた努力を無にしても、一人当たりの収益性の低い事業、将来にわたり、改善のストーリー実現可能性が低い事業は、勇気をもち一日も早く撤退することでもあると。過去、いくつものベンチャー不動産会社がマーケットの波に飲み込まれ、消えていきました。チャレンジなしに成功はありません。一方で、時に立ち止まり、成長への圧力に抗う勇気も必要だと思います。

                              目標のハードルは高く、幸せのハードルは低く。
                              これが、今の私の気持ちの持ち方です。幸せの形は、自分の心の中にあります。
                              幸せを感じる心のハードルを下げてあげると、日常はたくさんの幸せに満ちていると、感じるようになりました。そうすると感謝の気持ちも、自然と心の中に湧いてきます。
                              毎日、朝起きて身体が動かせれば、自分が為すべきことを、粛々と行い、かつ楽しんで日々を過ごします!
                              常に前を向いて、かつ凛として。」

                              この言葉は、私たちに勇気と決意を与えてくれました。
                              私たちいちごは、創業者 岩﨑謙治の思いを引き継ぎ、日本の未来のために貢献してまいります。