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「Re-Design」プロジェクト「HOTEL IL PALAZZO」
EpisodeⅢ歴史的建造物としての価値
1989年12月5日のオープニングに先駆け、11月28日にオープニングレセプションとプレス発表が行われた。
レセプションでは、参加したすべてのクリエーターが勢ぞろいし、東京からの建築家やデザイナー、アーティスト、文化人、ジャーナリストなど著名なゲストが100名近く来場した。
オープニング当日は、午前中、そぼふる雨であったが、内田氏は自身で公言する晴れ男で、午後には快晴になった。
夜は全国区のTV中継も入り、華々しい会となり、地元招待者も含め、ゲスト同士の賑わいは朝まで続き、伝説のレセプションとして語られていた。
オープン後約半年間で、記録が残っているだけでも、国内39誌、海外22誌の取材掲載があったという。
地域全体を変貌させていく建築の力
20世紀を代表する世界的な建築家のアルド・ロッシ氏が日本で初めて手掛けた「HOTEL IL PALAZZO」は、那珂川への環境と周辺地域を同時に考えて構成された。川向こうから見た建築の強い印象のためのシンメトリーなファサード、ファサードの秩序をつくる階層ごとに水平に伸びる緑青のリンテルと垂直の大理石はモニュメンタルなファサードの存在感を形成している。
大理石、煉瓦、鉄という古典から近代建築を通して使われてきた伝統的素材を使用しており、大理石は、二つのトラバーチンを使用。ピアッツァの白いローマ産トラバーチンはイタリアを象徴し、垂直材の赤いイラン産トラバーチンは西洋と東洋の接点として古代からの建築の記憶を象徴している。
また、多数のデザイナーが関わることにより、都市的で深みのある複雑性を表現している。
国内外における数々の受賞と賞賛
1990年、「HOTEL IL PALAZZO」は、福岡市都市景観賞を受賞した。
この賞は、福岡市民による推薦・応募をもとに、福岡のまちの魅力を創り出しているランドスケープ・建築・広告・活動を表彰するものである。
受賞の際には「神社の鳥居を思わせるフォルムとカラーリングのせいかもしれないが、どこか東洋的で有機的である。イル・パラッツォが現れてから、人の流れが変わった。恐らく、それまではほとんど春吉に足を踏み入れたことがなかったであろう若い世代が、このまちに興味と好感を持ち始めた。」と評された。
翌1991年には、アメリカ国外の建築物として史上初となるアメリカ建築家協会(AIA)名誉賞を受賞した。
この年の受賞プロジェクトは、「デザインに対するアヴァンギャルドなアプローチではなく、今日の多元的な主流を表している。」とされる中で、イル・パラッツォは “a superb example of Modernism(モダニズムの素晴らしき例である)” と評価された。
また、建築を手掛けたロッシ氏は、1990年に建築界のノーベル賞と言われる「プリツカー賞」を受賞している。
ロッシ氏が受賞した際には、内田氏は三橋氏とともにヴェネティアに駆けつけた。そのパーティーでは、羽織袴と着物姿の内田氏と三橋氏が衆目を集め、ロッシ氏は、「まいった。これは内田のパーティーだ。」と言っていたそうである。
ロッシ氏は、受賞スピーチでこう述べた。
「どの建物も同じだが、同時に大きく異なる。この理由から、私は都市を再構成し、私たちの生活をより自由に、より目に見え、より美しくする能力を備えた素晴らしい都市建築を信じている。」
これらの受賞は、今もイル・パラッツォの外壁に刻まれている。
(情報協力:内田デザイン研究所 長谷部匡代表)
(写真協力:Nacása & Partners Inc.)