証券コード 2337 いちご株式会社

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「Re-Design」プロジェクト「HOTEL IL PALAZZO」

EpisodeⅤ

内田デザイン研究所 代表 長谷部匡 × いちご地所 社長 細野康英

2016年にいちごが「HOTEL IL PALAZZO」を取得し、2019年に事業譲受とホテル運営事業の立ち上げにあたり、奔走していたいちご株式会社執行役副社長兼COOの石原実とホテル事業部長の北﨑堂献は、この歴史的建造物とホテル名称は一体不可分であると考え、商標権者と交渉を重ね、「HOTEL IL PALAZZO」の商標の継続利用の許可を得ることが出来た。ある意味、ここからRe-Designプロジェクトの道筋はスタートしていたのかもしれない。今回の大規模改修のパートナーとして、この建物のデザインを担った一人である内田繁氏の志を引き継ぐ内田デザイン研究所の起用を進言したのも石原であった。
その後、ホテルオーナーであるいちご地所社長の細野は、2019年10月、内田デザインを訪れ、長谷部氏と初めて対面することとなる。
そこから4年の時を経て、「Re-Design」プロジェクトは第1ステージを完結し、いよいよ2023年10月1日にグランドオープンを迎える。

EpisodeⅤでは、「Re-Design」プロジェクトの中心にいる内田デザイン研究所の長谷部代表といちご地所の社長である細野に、プロジェクトを振り返るとともに今の想いを語ってもらった。

長谷部氏と「イル・パラッツォ」の出会い

(長谷部氏)

スタジオ80は、ちょうど、イル・パラッツォの計画を進めており、私はデザインではなく、グラフィックを担当することとなった。まだ駆け出しであったため、深くかかわることは出来なかったが、周りでイル・パラッツォのプロジェクトがまさに動いていたため、内容は大体は理解していた。
学生時代憧れていたアルド・ロッシ氏がスタジオに来られた際は、少し面倒がられながらも、サインをいただいたことを覚えている。
内田はデザイナーである一方、展覧会や執筆等「公のボトムアップ」にも取り組んでいた。私自身もその活動に興味があり、また共感もしていた。

スタジオ80は、1981年にデザイナーを企業体としてディレクションするために立ち上げられた会社であった。並行して、内田自らを代表とする内田デザイン事務所が存在していたが、2000年頃、内田が一人のデザイナーに戻りたいとスタジオ80を離れ、内田デザイン事務所に戻ってくることとなった。この時に、現在の「内田デザイン研究所」という名称に変更された。
当時私はスタジオ80に所属していたが、内田から「一緒にやろう」と内田デザインに呼ばれ、今に至っている。
単純にデザインだけを行う事務所であれば、内田が離れると同時に解体していたかもしれないが、デザイン以外も含めて総合的にデザインを考える事務所ということもあり、その辺りを理解している私を指名し引き継がれたものと思っている。


「Re-Design」プロジェクトのはじまり

(細野)

コロナ前の2019年10月、イル・パラッツォの改修に際し、内田デザインを訪れた。
長谷部氏にイル・パラッツォの相談をさせていただいたところ、大変喜んでいただいたことを覚えている。内田デザインのオフィスを見回せば、イル・パラッツォのドローイングが飾ってあり、あらためて、訪問して良かったと実感した。
イル・パラッツォのドローイングや当時の図面を持ってきていただき、お話を溢れるほど聞かせていただいた。これまで、いちごでもたくさんのデザイナーと仕事をしてきたが、イル・パラッツォは内田デザイン以外の選択肢はないとその場で実感することが出来た。


(長谷部氏)

イル・パラッツォは、内田やアルド・ロッシにとっても、記念碑的な代表作のひとつ。私たちに期待を寄せてくれたことが何より嬉しかった。反面、その歴史に対する責任の重さからのプレッシャーも大きかった。
細野さんからいちごの「心築(しんちく)」の話があり、建物の価値を活かして、新たな価値を創造するという考えを聞き、大変共感した。いちごと一緒に取り組むことで何か相乗効果を実現出来るのではないかと期待された。

(細野)

それから、4年の時が過ぎた。構想の段階から、「単純に34年前の建物に戻すだけでは、現代のマーケットに合わない」ということは、長谷部さんとも共有出来ていた。あらためて、今の時代に合ったイル・パラッツォで、春吉という街を作っていくというテーマでプロジェクトに取り掛かった。明確なゴールがない中、始まったプロジェクトだったため、構想には相当な時間を費やすことが必要だった。

(長谷部氏)

プロジェクトを進めるにあたり、最初、どうしたものかと頭を悩ませた。
戦後のメモリアルなホテルを再現したプロジェクトも見に行った。イル・パラッツォの2階にあったロビーを再現することも考えたが、事業効率の悪さはもちろん、そもそも再現することにどれほどの意味があるのかと自問自答をしていた。
そんな時、「いま内田がやるとしたら、そんなことはしないね。」と天の声が降りてきた。
内田ならどんな答えを出すのだろう。昔を否定して作るわけではなく、積み重ねてきたものや最初にあった価値を、あらためて今、どう解釈していくべきかを考えた方がいい。
それこそが、今回のプロジェクトのコンセプト「Re-Design」に集約されている。

Re-Designの父とも言えるデンマークのデザイナー コーア・クリントは、「古典というのは我々よりモダンだ」と語っている。ずっと残ってきた名作には何かそこに価値があり、そこに今の用途や機能を付加していくと、今に活かせると考えた。イル・パラッツォも自分たちなりの解釈が出来るはずだと考えた。そこから、かつての図面や過去の歴史をさかのぼり、歴史をまとめる作業に入った。時系列に並べてみると新しい解釈や発見もあり、時間を追うごとに厚みが出てきた。この作業に時間がかかったが、今回のプロジェクトの本質に繋がっている。

「Re-Design」への挑戦

(長谷部氏)

イル・パラッツォは、ホテル用のデザインではなく、都市・建築・環境などの関連性を引っ張りながら、純粋にファインデザインとして作られた空間。ある意味、ホテルっぽくないホテルと言えるかもしれない。
だからこそ、ある種の自由さ、枠組みや規制の常識からはずれた存在という感覚がある。イル・パラッツォには、様々な記憶が散りばめられている。その記憶をコラージュしながら、ファインデザインを再構築していけば面白いのではないかと考えた。
1970年代頃までは、非日常こそホテルであった。一方、1980年代のNYやロンドンでは、少しだけ日常を離れホテルをもっと自由に使って欲しいという空気が起き始めていた。日本にはまだなかった時代であるが、イル・パラッツォは、年齢・性別・国籍・宗教などに関係なく、皆が楽しめる、「受け入れる」といった寛容さがあった。現代においても、そのようなホテルになって欲しいと思った。

(細野)

いちごも、オペレーターにグローバルなブランドを呼ぶのではなく、誰でも来てもらえるホテルの空間づくりを目指している。そういう意味で、いちごのビジネスとも合致していた。福岡は、再開発が進んでいるが、海外のデザイナーが起用されているケースも多く、日本らしさや福岡らしさがなくなっていく可能性を感じている。イル・パラッツォは、その対極として、街を残していく立ち位置になっていきたい。

(長谷部氏)

34年経過しても綺麗に残っているイル・パラッツォを活かしたいと言っていただけたことが嬉しかった。イル・パラッツォには、たくさんの人の想いが詰まっている。残されたことにとても感謝している。
当時、内田は、スタッフに「62室しかないホテルだから、お客さまの名前を覚えて欲しい。笑顔と名前。それだけでいい。」と話していた。失礼のない程度に距離を縮める「インティメート」なホテルを実現出来る環境がある。


(細野)

いちごで取り組んでいるライフスタイルホテルのコンセプトも、お客さまとの距離を近くということであり、そのあたりの考え方も合致していた。

「Re-Design」の完成

(長谷部氏)

地下にパブリックを集めるにあたり、動線を考えることが大変だった。また、地下のワンルームをどう使っていくのか、光が入らない空間で朝昼晩の変化をどうつけていくのか、このあたりを細野さんとも協議しながら、進めていった。

(細野)

普通のホテルとは異なり、「レストランの中でホテルの受付をする」というオペレーションを予定している。
ホテルに入ると、動線も色合いも、今までに見たことがないものが連続する。エントランスは「青いトンネル」に繋がっているが、あんなに綺麗な「青」は見たことがない。

(長谷部氏)

「色」の空間は最初からイメージしていた。ただ、日本人は、色に対してとても敏感なため、色の使い方が非常に難しかった。そのため、特に動線はすごく気にした。俗世から茶室に赴くように、青い空間の「結界」を抜けて、穢れを落としながら、地下の別世界に導いていくという演出を施した。
色は、34年前に使っていた赤・青・緑を基調にしている。トラバーチンの「赤」、窓枠の「青」、外観のリンテルやコーニス、屋根の「緑」。それらをインテリアにも取り込んでいる。日本人が苦手なきつい色味ではなく、少し柔らかい色味を使用した。「色」は一つのテーマとなっている。

イル・パラッツォの地下には、大きな水槽がある。インテリアの中に自然のものが入ることはあまりない。
「Dancing Water」は内田の晩年の作品であるが、それを応用し、インテリアでは珍しい自然や揺れるものを取り入れた。揺れる水面には、ロッシのファサードがゆらゆらと映っている。

(細野)

はじめ、予算の問題からミニマムなプランも検討したが、このイル・パラッツォは、しっかりこだわっていくべきだと考え、予算を増やしてプロジェクトに取り組むことが出来た。色々な意味でターニングポイントとなったと思う。

(長谷部氏)

いちごとコラボレーションして、とても紳士的な会社だと思ったし、何よりまともなことをきちんと話せる会社だと感じた。数字の話だけでなく、イル・パラッツォに必要な「味」についてもしっかり話し合うことが出来る会社だった。プロジェクトも、予算をしっかりと確保出来たことから、元よりチャレンジしたかったことは悔いなく実現出来た。経年劣化した外壁もきれいになり、設備系もすべて作り直している。

イル・パラッツォは、コラボレーションにより誕生したホテルであるため、低層棟やピアッツァ(広場)をもっと有効活用して、国内外のデザイナーともコラボレーションしたい。
今がピークではなく、「生きているホテル」として、どんどん進化し、色々な人に来て欲しい。


イル・パラッツォのグランドオープンに向けて

(細野)

実際に完成したイル・パラッツォを見て、とても不思議な感じがした。
他のホテルには絶対にない「唯一無二」なものが散りばめられている。いちごの心築では、これまでも古いホテルを改修してリブランドしてきたが、イル・パラッツォは、過去を否定出来なかった。歴史に敬意を払い、尊重しながら、進めるプロジェクトは初めてであったため、緊張感もあった。でも、これまでの実績を踏まえて、このプロジェクトに向き合えたことが良かった。
完成した姿は、声が出ないほど素晴らしかった。

(長谷部氏)

グランドオープンを目前とし、とても感慨深い。プレッシャーも大きかったが、最後には満足過ぎるものが出来た。ここまでの道のりは、決して楽ではなかったし、何度も天から内田の声が聞こえてきた。時には、「そんなに悩まなくていいよ。」と言われたり、時には「これは絶対にダメだ。」と言われたり。でも、大変さはすぐに忘れるもので、今は完成した喜びに満たされている。

イル・パラッツォは、「地域を変える」という意気込みから始まった。地元の人こそが使う、地元に愛される「社会資産」が元々のコンセプトであった。福岡の人に愛され、インターナショナルで、自由を謳歌する場所になっていくことが本当の意味でのゴール。デザインはほんの一部であり、これから、昔のようにたくさんの人を迎え入れ、誰もが楽しんでくれる空間になっていくことを願っている。

(細野)

実際に完成したイル・パラッツォを見て、とても不思議な感じがした。
他のホテルには絶対にない「唯一無二」なものが散りばめられている。いちごの心築では、これまでも古いホテルを改修してリブランドしてきたが、イル・パラッツォは、過去を否定出来なかった。歴史に敬意を払い、尊重しながら、進めるプロジェクトは初めてであったため、緊張感もあった。でも、これまでの実績を踏まえて、このプロジェクトに向き合えたことが良かった。
完成した姿は、声が出ないほど素晴らしかった。

(長谷部氏)

グランドオープンを目前とし、とても感慨深い。プレッシャーも大きかったが、最後には満足過ぎるものが出来た。ここまでの道のりは、決して楽ではなかったし、何度も天から内田の声が聞こえてきた。時には、「そんなに悩まなくていいよ。」と言われたり、時には「これは絶対にダメだ。」と言われたり。でも、大変さはすぐに忘れるもので、今は完成した喜びに満たされている。

イル・パラッツォは、「地域を変える」という意気込みから始まった。地元の人こそが使う、地元に愛される「社会資産」が元々のコンセプトであった。福岡の人に愛され、インターナショナルで、自由を謳歌する場所になっていくことが本当の意味でのゴール。デザインはほんの一部であり、これから、昔のようにたくさんの人を迎え入れ、誰もが楽しんでくれる空間になっていくことを願っている。

イル・パラッツォの「Re-Design」プロジェクトは、新しい解釈と再定義により実現した。
「HOTEL IL PALAZZO」は、街とともに「生きているホテル」として、今また第二のスタート地点に立っている。


(情報協力:内田デザイン研究所 長谷部匡代表)